最初のハンガリー語の詩はどれくらい「遠い言葉」か
ハンガリー語で最初に残された詩が、「母の嘆き」だったと聞くと、少し意外に感じるかもしれません。しかもそれは、約700年前のハンガリー語で書かれた、キリスト教の聖母マリアが十字架の下で悲しみに暮れる場面を描いた詩です。
この作品は 『Ómagyar Mária-siralom(オーマジャル・マーリア・シラロム)』と呼ばれています。日本語では「古ハンガリー語による聖母マリア哀歌」と訳されることが多く、現存する最古のハンガリー語の詩として知られています。現代のハンガリー人にとっても、この作品のことばは決して簡単ではありません。しかし、そこに込められた悲しみや祈りの気持ちは、700年という時間を超えて、今も私たちの心にまっすぐ届いてきます。
13世紀ハンガリーに響いた「母の声」
『Ómagyar Mária-siralom』が生まれたのは13世紀のハンガリーで、日本では鎌倉時代にあたる頃です。当時、ハンガリーではキリスト教化がほぼ完成し、教会ではラテン語によるミサが行われていました。一方、人々が日常生活で話していたのは、もちろんハンガリー語です。この詩は、ラテン語の Planctus ante nescia をもとに、無名のハンガリー人修道士が自分たちのことばで書き直した作品だと考えられています。
十字架の下に立つ聖母マリアは、苦しむ息子イエスを見つめながら、神に向かい、息子に語りかけ、人々へ訴えます。その悲しみや祈りは、読む人の前に一人の母親の「声」として鮮やかに立ち上がってきます。
当時のヨーロッパでは、聖母マリアへの信仰が広く浸透し、人々の心に語りかける宗教的な歌が数多く作られていました。『Ómagyar Mária-siralom』も、その流れの中で生まれたハンガリー語による聖母マリア哀歌なのです。

世界を旅した一枚の写本
この詩が残されているのは、Leuveni-kódex(ルーヴェン写本)と呼ばれる13世紀の説教集です。羊皮紙にラテン語の説教がおよそ600篇書かれた大きな写本の134vページ。その二段組の余白に、このハンガリー語の詩は静かに書き残されていました。しかし、この一枚の写本は、その後とても長い旅を経験することになります。

もともとはハンガリーのドミニコ会修道院で使われていましたが、その後アルプスを越え、Alsó-Stájerország の Pettau(現在のスロベニア・Ptuj) に渡り、そこで新しい装丁が施されました。20世紀初めにはドイツ・ミュンヘンの古書店に現れ、その後ベルギーの Leuven(ルーヴェン)大学図書館 に収蔵されます。第一次世界大戦後、失われた蔵書を補うため、ドイツからベルギーへ送られた賠償図書の中に、この写本も含まれていました。
1922年、ドイツ・バイエルン州立図書館の学芸員 Georg Leidinger が写本の中にハンガリー語の文章があることに気づきます。そして、東欧・トルコ語研究者Franz Babinger が、それが古ハンガリー語(約700年前のハンガリー語)で書かれた貴重な作品であることを見抜きました。
Ómagyar Mária-siralom』が書かれている Leuveni-kódex の134vページ(13世紀)

その後、Gragger Róbert と Jakubovich Emil が拡大写真をもとに解読と校訂を進め、長い年月を経て、「ハンガリー語で最初の詩」が再び人々の前に姿を現したのです。1982年には文化協定に基づき、この写本はハンガリーへ戻されました。現在はブダペストのハンガリー国立セーチェーニ図書館 で、大切に保存されています。

ミサの中で歌われた聖母マリア哀歌
この詩は、単なる文学作品ではありません。本来は、ミサや聖週間の典礼と深く結びついた宗教的な歌でした。写本では、聖母マリアの誕生日(9月8日)のラテン語説教の後、そして聖体の祝日(Úrnapja)または聖木曜日(Nagycsütörtök)の説教メモの前に書き込まれています。このことから、多くの研究者は、この作品が聖週間、つまりキリストの受難を思い起こす期間に、説教の前後などで歌われていた可能性が高いと考えています。中世ヨーロッパでは、ラテン語だけでなく各地の言語でも聖母マリアの悲しみを歌う Planctus が数多く作られました。『Ómagyar Mária-siralom』も、その代表的な作品のひとつです。Planctus は、中世ヨーロッパで広く歌われた宗教的な哀歌で、ミサや聖週間の典礼と深く結びついていました。『Ómagyar Mária-siralom』も、単に教義を説明する作品ではありません。聖母マリアの立場から悲しみを語ることで、人々がその苦しみに心を寄せ、ともに祈ることを目的としていたと考えられています。祈りであり、歌でもある作品です。現代の感覚でいえば、両方の要素をあわせ持つ、いわば「ハイブリッド」のような存在だったと言えるでしょう。
700年前のハンガリー語はどれくらい「遠い言葉」なのか
では、この700年前のハンガリー語は、現代のハンガリー人にとってどれくらい古いのでしょうか。日本語話者にとっては、上代日本語と現代日本語の距離感を思い浮かべると、イメージしやすいかもしれません。
『Ómagyar Mária-siralom』は、約700年前のハンガリー語の姿をそのまま残した、まるでタイムカプセルのような作品です。文字を見ると、語尾に母音が多く現れ、th や uo など、現代のハンガリー語では使われなくなった綴りも数多く見られます。たとえば therthetyk のような綴りは、現代のハンガリー人でも一目で読むのは簡単ではありません。
文法にも違いがあります。現在では形が変わってしまった 格語尾 が多く見られ、たとえば világumtul は、現代ハンガリー語では világomtól になります。また、üllyétük(現代語:öljétek)のように、一つの動詞の中に複数の文法情報が凝縮された形も少なくありません。
語彙にも、現代ではほとんど使われなくなった単語が残っています。たとえば hul(現代語 hull、「落ちる」)や fugwa(現代語 fogva、「~された状態で」)などは、辞書や注釈がなければ理解が難しい部分です。この感覚は、万葉仮名で書かれた上代日本語の歌を、訓読や現代語訳なしで読む難しさに少し似ています。
それでも伝わることば
それでも、この詩には、現代のハンガリー人にもそのまま意味が伝わる表現が数多く残っています。もっとも有名なのが、Világnak világa, virágnak virága(世界の光よ、花の中の花よ)という一節です。ここではキリストを、「世界を照らす光」であり、「花の中の花」と呼びかけています。világ(世界・光) と virág(花) というよく似た響きのことばを重ねることで、美しい音の流れと意味の両方を生み出しています。
ほかにも、Szemem könnvel árad(私の目は涙であふれる)あるいは Jaj nekem, én fiam(ああ、わが子よ)といった表現は、綴りは古くても、現代のハンガリー人なら直感的に理解できることが多いと言われています。この「半分は遠く、半分は今も身近に感じられる」という不思議な感覚は、上代日本語の歌を現代語訳と一緒に読む体験と、どこか共通する部分があります。
(日本語訳を下記ダウンロードしてください。)
上代日本語と比べてみる
日本語でも、万葉集の原文をそのまま読もうとすると、まず文字から音をたどるだけでもかなり苦労します。700年前のハンガリー語で書かれた『ÓmagyarMária-siralom』も、それと少し似ています。文字を見ただけでは読みにくく、まず発音を知り、注釈を読みながら意味を少しずつ理解していく必要があります。しかし、一度読み方や意味が分かると、その中に込められた感情は驚くほど現代の私たちにも伝わってきます。上代日本語では恋や自然への思いが歌われ、700年前のハンガリー語では聖母マリアの悲しみと祈りが歌われています。扱うテーマは違っても、「大切な人を想う気持ち」や「どうすることもできない悲しみ」は、時代を超えて人の心に届きます。だからこそ、日本語話者にとっては、上代日本語と現代日本語の距離を思い浮かべることで、ハンガリー語にも同じように長い歴史の積み重ねがあることを、より身近に感じられるのではないでしょうか。
和歌と聖母マリア哀歌 - 形は違っても、心を凝縮するという共通点
日本の和歌は、31音という限られた器の中に、恋心や季節の移ろい、人生の喜びや悲しみを凝縮して表現します。一方、『Ómagyar Mária-siralom』は自由な形式で書かれており、行ごとの長さも一定ではありません。しかし、「限られたことばで深い感情を伝える」という点では、和歌と共通する部分があります。たとえば、megfogván, húzván, öklözvén, kötözvén
(つかまれ、引きずられ、殴られ、縛られ……)という連続した表現では、同じリズムを保ちながら動作が次々と積み重ねられ、読者はまるでその場面を目の前で見ているかのような感覚になります。短いことばを重ねることで情景や感情を強く印象づける表現は、日本の和歌に見られる掛詞や反復とも、どこか通じるものがあります。
また、この詩は本来、静かに読むものではなく、「声」として人々に届けられることを前提としていました。日本の仏教で声明(しょうみょう)や読経が声によって受け継がれてきたように、この作品も歌われることで人々の心に届いていたのです。
現在でも、Pais Dezső の朗読や合唱団による演奏を聴くと、ことばの意味をすべて理解できなくても、悲しみや祈りの響きが自然と伝わってくるのを感じることができます。
700年前の声は、今も私たちに語りかけてくる
『Ómagyar Mária-siralom』は、現存する最古のハンガリー語の詩であり、フィン・ウゴル語族における最古級の抒情詩としても高く評価されています。
その一方で、この作品は単なる「古いことばの資料」ではありません。十字架の下で、わが子の苦しみを見つめる聖母マリアの悲しみは、「どうして」「なぜ」「代わりに私が苦しめたなら」という、人間なら誰もが理解できる感情として描かれています。約700年前のことばは、文法も発音も大きく変わっています。しかし、人を想う気持ちや悲しみの声は、驚くほど今の私たちにも届きます。だからこそ、『Ómagyar Mária-siralom』は、言語学だけでなく、人の心という視点から読んでも、とても魅力的な作品なのです。
AI音声技術を利用して再現した700年前の発音と、現代ハンガリー語の発音を聴き比べてみてください。
700年前のハンガリー語を、日本語と一緒に味わってみませんか
ハンガリー語を学ぶ日本語話者にとって、この詩は文法や単語を学ぶためだけの教材ではありません。700年前の作品の中から、világ、virág、szem、vér など、現在でも使われている単語を見つけていくと、「今のハンガリー語」と「昔のハンガリー語」が少しずつつながって見えてきます。
それは、まるでことばの歴史を発掘するような楽しさがあります。ことばは変わっても、人の心は変わらない。そんなことを感じながら、「700年前の声」と「現代の声」の両方を楽しんでいただけたら嬉しく思います。
トキオハンガリークラスからのお知らせ
トキオハンガリークラスでは、日本人の視点からハンガリー語をわかりやすく学べる教材や、今回のような文化・歴史・言語に関するコラムを定期的に発信しています。ニュースレターにご登録いただくと、新しい記事のお知らせに加え、学習に役立つ無料ダウンロード資料や限定コンテンツもお届けしています。ハンガリー語やハンガリー文化に興味をお持ちの方は、ぜひお気軽にご登録ください。
主な参考資料『Ómagyar Mária-siralom』原文および学術資料(ELTE文学部) Leuveni-kódex に関する研究資料 Pais Dezső による朗読